遠州に栄えた蔵のまち、
天竜二俣の魅力を伝えたい。
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AC浜松

戦国時代から二俣城の城下町として栄え、天竜川の水運を生かした材木や繭の集積所、秋葉街道の宿場町として隆盛した浜松市天竜区二俣には、35もの蔵が残っている。浜松市北部に位置する二俣で、風土の特色を生かした地域活性に貢献するべく、「AC浜松」は2012年から活動する。

「マルカワの蔵」は、明治初期に呉服屋の見世蔵として建てられ、大正期に3階部分が増築され、その後、酒屋を営む川島家の持ち物となった。現在も店奥の棚には川島酒店の銘と、丸の中に川の字が書かれた酒壺が数多く残され、酒屋だった頃の愛称のまま「マルカワの蔵」と呼び親しまれる。二俣に残る35の蔵のうち、内部に上質な住居構造を持つ座敷蔵は、ここを含めて3つ。店内では郷土の土産や特産品が売られているほか、蔵ギャラリーとして毎月さまざまなアートや工芸品の展示販売が行なわれ、二俣地区のまちおこしの拠点となっている。

Interviewee
米澤 葵さん
2012-14年度代表
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“浜松に恩返しするため、
地域貢献できる仕事に就きたかった。”

2012年に「AC浜松」を仲間3人とともに立ち上げた米澤 葵さんは、浜松市中区の出身。浜松市をフィールドとする学生地域貢献事業としては初めてのグループだった。「浜松の市街地で育ったので、二俣のことはほとんど知らなくて、天竜川を越えてトンネルを抜けたら、山の中にこんなレトロなまちが開けていることが不思議で、魅力的に感じました。他の3人も豊橋、磐田、弥富という全然違うエリアの出身だったので、新鮮な気持ちで、このまちの活性化のために学生としてできることはなんだろう、と考えました」

支援教員の紹介で、二俣地区でまちおこし活動をする本島慎一郎さんと出会い、まずは本島さんたちのグループが開催するイベントを手伝うことから地域への働きかけを学んだ。本島さんはこの地に生まれ、洋服店を経営しながら、青年会議所の活動を通して地域活性化に興味を持ち、75歳になる現在も奥さんとともに新しい企画をどんどん立ち上げるまちおこしのキーパーソン。「中山間地域には、ITなどの先端技術の導入が必須。だからこそ若い世代の力が頼みとなる」と、米澤さんたちのサポートを歓迎した。

Interviewee
本島 慎一郎さん
三遠南信ひとネットワーク
ゆめまる世話人代表
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“喜びや感動があると、
自然と人の輪が広がっていく。”

米澤さんたちは本島さんたちのイベントを手伝う一方、学内を対象に中山間地域に対するアンケート調査を行ない、若者が足を運びたくなる傾向について意見をまとめ、提案を行なった。また静岡大学や静岡文化芸術大学の学生にも働きかけることで、学外にもAC浜松の活動が広がり、浜松市街地に通学している学生たちが二俣に目を向けるきっかけとなった。

「米澤さんたちは本当にここまでよく足を運んでくれて、一緒にイベントを盛り上げてくれました。大学生が来てくれることが、地元にとっては大きな励みになります。愛知大学をはじめ、他の大学でも研究活動の一環でホームページを作ってくれたり、お茶摘みを一緒にしてくれたり、お土産物のパッケージをデザインしてくれたりと、サポートの輪が広がっています」

Interviewee
野口 すみれさん
2019年度代表
Interviewee
尾上 諒真さん
2019年度副代表
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“新しい何かを作るのではなく、
もともとそこにある地域資源を生かしたい。”

米澤さんの卒業後もAC浜松の活動は受け継がれ、2019年には二俣地区出身の野口すみれさんが代表、浜北区出身の尾上諒真さんが副代表を務めた。野口さんは故郷から離れた大学に進み、ちょっと離れた目線から眺めることで気づいたことがあるという。

「住んでいると観光資源とは思えないような何気ない川や神社を見て、若い人は喜んで写真を撮っていく。二俣川や阿多古川の美しさや、小さな村で現在も手作りされる和紙や竹籠なども、足を運ばないと味わえない魅力のひとつ。都会の子どもが鮎のつかみ取りを体験すれば、ジブリみたい!と心からはしゃぎます。二俣の自然や文化を通してまちをつくることができるはず」

地元の魅力を外に発信するだけでなく、
地元の人に知ってもらうことも大切。

雨の日にも、情緒あふれる蔵のまち。以前まちの中心だったクローバー通りからゲームセンターやショッピングモールが消えて久しいが、駅舎を利用したホテルが開業したり、廃旅館を使って地元のお茶を味わうイベントが企画されたり、いまはむしろずっと昔からこの場にある価値に目が向けられる時代になっている。

野口さんたちの代では、二俣で昔から行なわれていた「二俣かるた大会」を復活させることも成功した。住んでいる人が便利さや近代化の中で手離してしまった価値を、若い世代が丁寧に掘り起こす。そんなまちづくりが実を結びつつあるように感じられた。