廃線の危機に立ち向かう!
REGO
「東海道にてすぐれたる 海の眺めは蒲郡」と、鉄道唱歌に謳われた景勝の地・蒲郡。その美しい三河湾の海岸線を縁取るように走る名鉄にしがま線は、不採算路線として残念ながら10年前程から廃線が取り沙汰されている。その危機を救うため立ち上がったのが「REGO」だ。
穏やかな青い海と緑豊かな田園風景に映える、赤電車。名鉄西尾線の西尾駅から吉良吉田駅、名鉄蒲郡線の吉良吉田駅から蒲郡駅までの区間は通称にしがま線と呼ばれ、名鉄の中でもとくに風光明媚な路線として知られる。この区間にある13の駅は、三河湾に沿って点在する温泉街や観光地をつなぎ、鉄道利用者の旅行を支えるほか、沿線住民にとっては都市部の学校や仕事場へと出かける通勤・通学に欠かせない足でもあり、とくに交通手段が限られる中高生にとって、路線の廃止は切実な問題となる。
“廃線は地域の衰退につながる。
自分と同じ想いをしてほしくない。”
2017年に「REGO」を立ち上げた山本光輝さんは、岐阜県可児市から豊橋キャンパスに通っている。にしがま線の存亡は通学とは関係ないものの、彼にとっては放っておけない想いがあった。
「子どもの頃から、可児市周辺では八百津線、揖斐線、谷汲線など、いくつものローカル線が廃線となり、その影響を目の当たりにしてきました。廃線から10年経っても、地元にはさまざまな弊害が生じています。廃線は鉄道だけの問題ではなく、子どもたちにとっては進学の選択肢を奪われることでもあり、沿線の商業施設が撤退するなど、地域全体の活力がその後もジワジワと損なわれていきます。蒲郡の海には子どもの頃に連れてきてもらった思い出もあるので、海沿いを走る貴重な路線が廃れるのはもったいない。廃線を回避するために何かしたいと思いました」
鉄道は単なる移動手段ではなく、
まちと人を結びつけるもの
まず取り組んだのが、現状を知るためのアンケート調査。人々の意識や利用状況を把握し、蒲郡市役所に提出した。地元行政と協力関係を築きながら、現地調査を重ね、存続の可能性を探った。その中で見えてきたのが、鉄道そのものだけでなく、「沿線復興」の重要性だった。
「地域政策学部で学んで、鉄道の見方が変わりました。公共交通は単なる移動の手段ではなく、人と地域を結びつける多様な可能性を持っています。だから沿線地域の魅力を再発見して、発信していくことで、沿線住民以外の関心を集めることできるかもしれないと考えました」一見遠回りにも思えるが、そうすることで路線利用も必然的に増えて、地域活性化に貢献できるのではないか。そんな視点から、2年目となる2018年には、蒲郡市主催の「にしがま魅力発見シーサイドウォーク」に参加し、豊川市の障害者支援施設「シンシア豊川」の利用者を招いて一緒に海岸線を歩いた。自分たちで下見して、電車と徒歩を組み合わせることで、障害のある方でも安全に歩いてもらいながら、三河湾を眺望できるルートを丁寧に設定。ふだん外の景色に触れる機会の少ない参加者たちは、身近に楽しめる海の景色に感嘆し、大いに喜ばれた。
“にしがま線で会いましょう。”
続いて挑戦したのが、蒲郡の特産として知られる温室みかんの影で、あまり認知されていない食用ホオズキの商品開発だ。生産農家は3軒のみだが、高級料亭などで用いられる付加価値の高い商品であり、その分、基準に満たないものは多くが廃棄されていた。
「見た目はトマトに似ていて、食べると甘くてすごく美味しい。でも、農家さんにとっては捨てるのが当たり前でした。提供してもらった廃棄分1kgのホオズキの実を、大学近くのバルカフェのマスターが協力してくれて、ジャムとドライフルーツに加工してくれました。蒲郡まつりで試食してもらうと、売っていたら買いたいという声が9割にのぼり、農家さんも市役所の方たちもすごく喜んでくれて、やっとREGOを認めてもらえた気がしました。ホオズキとにしがま線は直接には関係ないですが、沿線の明るいニュースを取り上げることで地域が盛り上がれば、路線存続につながるはず」
“学生時代の挑戦は失敗してもプラス。夢を持って社会に羽ばたいてほしい。”
廃線の回避は地元行政にとっても重要な課題で、西尾市、蒲郡市も支援金を支払い、存続に向けて働いている。蒲郡市の観光商工課に長く席を置き、現在は交通防犯課長として蒲郡線に関わる池田高啓さんは、学生たちの取り組みを見守り、後押しする。
「現状維持は衰退の始まり。今のままでいいと思ったら、維持もできません。学生の通学の足が断たれたら、次は地域の高校の活力も失うことになります。住んでいる人が、どれだけ自分事に思うかどうか。学生さんはお金はないかもしれないが、時間と夢があり、情報発信力もある。結果はどうあれ、チャレンジすることは、社会のためにも自分のためにもプラスになるので、どんどんチャレンジしてほしい」 学生ならではの視点を生かしたREGOの企画力は徐々に認められ、行政との協力関係も順調に構築されてきた。3人で立ち上げた小さな運動は、3年目で25人にまでメンバーを拡大し、さらに新しい挑戦へ向かっている。