商店街の中に開かれた憩いの場。
人が集まる場所に、新しい芽が育つ。
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花園ぷらす

戦前から続く歴史を持ちながら、駅前に比べて活気が薄れている花園商店街。2013年にできたオープンスペース「花園ベース・HANACOYA」をきっかけに、商店街再生に若い力が集まり、まちに開かれた居場所として、これまでとは違う再生を見せている。

豊橋駅から400mほど北東に位置する花園商店街は、まちなかを結ぶ商店街の中でちょっと離れた場所にあり、ここまで来ると人の流れが少なく、平日でもシャッターを下ろした店舗が目立つ。豊橋駅を中心とした配置図で捉えれば仕方なく思えるが、豊橋駅は明治21年(1888)に開業し、明治30年(1897)に飯田線、昭和2年(1927)に名鉄線、昭和39年(1964)に東海道新幹線が開通して現在の形が整った。それ以前の街の姿を追うと、もともと東海道の宿場町として栄えた豊橋は、東海道と吉田城を中心に賑わいを形成し、花園商店街がある場所より北面こそが街の中心だった。隣接する魚町商店街の名が語るように、かつてこの地には魚市場もあり、周辺には寺社仏閣も多く、城下町・門前町として商業の中心を担ってきた。そんな歴史ある花園商店街の衰退を惜しみ、2013年から商店街再生を目標に活動するのが「花園ぷらす」だ。

Interviewee
中島 香菜子さん
2015年代表
写真左
Interviewee
小田 夏奈子さん
2015年副代表
写真右
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“地域貢献事業のおかげで、
引っ込み思案な自分を変えられた。”

最初に着手したのは、花園商店街が主催し、月に一度開かれる花園マルシェに、学生チームで出店することだった。結成当初は「マルシェプラン」という名前で、第1回の花園マルシェにペットボトルを再利用した射的ゲームを考案し、子どもたちの人気を集めた。翌年、同じく豊橋のまちなか活性化をテーマに活動していた「Glitter +」と合流し、花園商店街に照準を当てて活動が続くことになり、さらに翌年、中島香菜子さんが代表、小田夏奈子さんが副代表を務めた2015年から「花園ぷらす」と改称し、現在まで続いている。

「もともと引っ込み思案で、話しをするのも苦手だったので、なるべく人と関わろうとしない性格でした。それが地域貢献事業を通して仲間たちと何かを一緒にすることが楽しくなって、商店街の人たちが話しかけてくれたり、地元の子どもたちと交流したりするうちに、自分を変えることができました(中島さん)」

「地域貢献事業をしていると、何かイベントを企画したときに、自分たちの足で市役所や企業に行って、交渉やお願い事をする必要が出てきます。中学校でプレゼンするなど、人前で話す機会が多かったので、経験を積んでいくうちに段々と自信がつきました(小田さん)」

卒業後、JAの窓口係として働く中島さんは、「地域貢献事業がなかったら、人と話す窓口業務はそもそも選ばなかったと思います」と、人見知りだった自分を振り返って笑った。

Interviewee
安河内 一葉さん
2019年代表
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“自分たちがやったことの成果が見える
から、手応えが感じられる。”

花園マルシェの手伝いをきっかけに商店街の要請で始まったのが、いまや夏の恒例行事となった学生たちによるお化け屋敷だ。豊橋まちなかこども夜店の企画のひとつとして、花園商店街の倉庫を使って開催され、空き店舗だけに空調もない中、花園ぷらすの面々が、毎年約2ヶ月かけて大道具・小道具を手作りし、当日に挑む。通路の間仕切りにダンボールを使い、真っ暗な中で子どもが怖がって走ってもケガのないように、細心の注意を払って準備を重ねた結果、わずか4時間の営業に約1000人もの子どもたちが殺到し、2時間待ちの行列ができた。中島さんと小田さんは、「準備期間はバイトも休んで、作業に夢中になりました」「暑くて大変でしたが、みんなで一緒に何かを作っていく過程は楽しく、商店街のいろいろな方たちが通りすがりに声をかけてくれるのも嬉しかった」と振り返る。さらに彼女たちは豊橋市政110周年企画として、ヤマサちくわ株式会社の全面協力の下、花園商店街の路上で110本のちくわを一斉に焼く「ちくわプロジェクト in 花園」を成功させた。楽しそうな雰囲気が伝わることで、花園ぷらすには多くの学生が集まり、活発な活動が続いている。安河内一葉さんは、その魅力を「やりたいことを受け入れてくれる土壌があり、自分たちがやったことの結果が見えやすい商店街の規模なので、手応えを実感できる」と語ってくれた。

Interviewee
岡本 卓也さん
花園商店街振興組合 理事長

“4年の間に学生たちがどんどん
成長していく姿を見るのが楽しい。”

学生たちが花園商店街に集まるきっかけとなったのが、商店街の一角にあるオープンスペース「花園ベース・HANACOYA」の存在だ。空き店舗が目立つようになった2013年、アーケードの維持管理や照明コストの負担が重くなったため、思い切ってアーケードを撤去し、青空商店街へ生まれ変わった。このとき、なにか商店街復興につながるものを作ろうと、空き店舗のひとつを ”まちの縁側“として開放し、自由に使えるトイレを設置したHANACOYAが誕生した。商店街理事長を務める岡本卓也さんがその経緯を語ってくれた。

「建築家の渋谷達郎氏をディレクターに、豊橋技術科学大学建築サークルの学生と協働して、セルフビルドによるリノベーションによってできあがりました。花園マルシェは、HANACOYA落成式を兼ねて2013年7月に開催したのが始まりです」

商店街の中に「花園ベース・HANACOYA」という開かれた場ができたことで、さまざまな地域活動が展開しやすく、商店街イベントにも学生や若い世代が加わって、新しい試みが次々と仕掛けられている。また何かしらの活動に限らず、学校帰りに勉強をしたり、本を読んだり、買い物途中にトイレを借りるために立ち寄ったりと、学校(職場)や自宅以外のサードプレイスとしての活用も、商店街に明るい変化をもたらしている。中島さんと小田さんにとっても、作業がない時でもよく学校帰りに仲間と集まった想い出の場所であり、卒業式の帰りも自然とHANACOYAに足が向いたという。そんな状況を「卒業後にも用事があるわけでもないのに顔を見せに来てくれる子たちがいる。若い人が来てくれるだけで、まちの空気が変わる」と、岡本さんも歓迎する。

空き店舗に残されたお札などをそのまま活用しながら、美容学校でカットマネキンを借りたり、
農業用シートで遮光して真っ暗な空間を演出したり、大学生たちが工夫を凝らしたお化け屋敷は「怖い!楽しい!」と大成功