災害で苦しむ人のために、
いま、この場所からできること。
たすけあいネット
File09

たすけあいネット

愛知大学地域政策学部がスタートした2011年4月は、未曾有の被害を生んだ東日本大震災の直後だった。5月に学生地域貢献事業の説明会が開かれ、震災支援を希望する学生たちによって立ち上げられたのが「たすけあいネット(初年度はたすけあい部)」だ。

2011年春、地域政策学部の開設と同時にスタートした地域貢献事業では、東日本大震災の混乱が続く中で、被災地の支援に関することをしたいと考えて集まった団体が3つあった。入学したばかりだった榊原春香さんもそのひとり。

Interviewee
榊原 春香さん
2013年副代表
株式会社ホスピタリティ&
グローイング・ジャパン
file09

“なにが必要で、なにができるのか、
初めは誰も分からない状態でした。”

当初、学生たちにできる支援は、被災地に行ってボランティア活動すること、この地域に避難してきた人たちを支援すること、募金を集めて送ることの3つが考えられた。榊原さんは避難者のサポートをしたいと考えたが、同じ目的を持つ震災関連のグループを統合して、「たすけあいネット」として活動していくことが決まった。

「地震、津波、原発事故によって、たくさんの人が苦しんでいる中、自分たちにできることはなにかと考えました。発災直後だったので、現場に行くのはまだ危険じゃないかという意見もあり、まずはこの場所からできることをしようと、東三河に避難して来られた方たちの支援に取り掛かりました。でも、初めは誰がどこにいるのか、どんな支援が必要なのか、分かっている人は誰もいませんでした。6月になって愛知県被災者支援センターができてから、徐々に連携が取れるようになりました」

たすけあいネット クリスマス会

避難者同士がつながれる場として、
ふるさと交流会を開催。

避難者の情報はそれぞれの市町村に集まるので、榊原さんたちはまず東三河の5市にはたらきかけ、アンケートを実施。避難者の実態を調査するとともに、そこに交流会の案内を同封することで、近くに避難している人たち同士が交流できる場をつくろうと考えた。その結果、東三河地域や湖西市など、愛知大学周辺にも多くの避難家族がいることがわかる。年が明けた2012年2月、愛知大学豊橋キャンパスで1回目の交流会を開催すると、20人近い参加者が集まった。

「お子さんのいる家庭が多く、交流会をしたことで見えてくることがたくさんありました。津波で家が流されてしまった人、原発の避難区域のため引越しを余儀無くされた人、放射能の影響を心配しての自主避難。避難者といっても、避難の理由もさまざまで、避難先にこの地域を選んだ事情もそれぞれ。早く帰りたいという家族もいれば、もう戻りたくないと考える人もいました。それぞれのケースに合わせた息の長い支援が必要だと痛感しました」

榊原さんは在学中ずっと交流会やチャリティイベントを続け、卒業後は愛知県被災者支援センターで勤務し、被災者の支援を続けた。

Interviewee
西堀 喜久夫さん
愛知大学 名誉教授
愛知大学中部地方産業研究所 客員所員
file09

“放射能やアスベストの問題があり、
学生を行かせることには躊躇があった。”

「たすけあいネット」の指導教員となった西堀喜久夫教授は、阪神・淡路大震災後に神戸市で震災とコミュニティに関する観察と研究を行なった経験を持つ。だからこそ、発災直後に「ボランティアに行きたい」と集まった学生たちを、簡単に後押しはできなかったと述懐する。

「瓦礫には多量のアスベストが含まれるので、ボランティアに健康被害を生じる危険もあります。そこに学生たちを送ることは躊躇がありました。情報がない中、ここに居ながらできることを手探りで丁寧に進めてくれた学生たちを頼もしく思っています」

「たすけあいネット」は2012年以降もアンケート調査や交流会を続け、避難してきた方との信頼関係を育みながら、地域の人に対しても防災意識の啓発や、被災者への理解や関心を高めてもらうための情報を発信。東三河に止まらず、浜松市や湖西市にも活動を広げながら活動を続け、一定の役目を果たした後、2015年に解散した。

2011年、豊橋駅前で開催された「ええじゃないか豊橋音祭り」では
ハート型のカードに被災者への応援メッセージを書いてもらい、
140通もの花びらで満開になったボードを南三陸町に届けた